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講話

1学期終業式

台風の影響で慌ただしい一日になりましたが、今日で1学期が終わります。実はこの1学期、生徒の登下校の態度が良くないという外部の方からの電話が、例年と比べて多かった。これについては、このあと生徒指導部の先生からお話があるので、よく聞いてください。その一方で、例えば、校外で下級生をきちんと指導している上級生の姿を見たとか、困っているところを学院の生徒が助けてくれたとか、学校に来たら生徒が気持ちのいい挨拶をしてくれたといったような声も、私は直接聞きました。これらはできて当たり前のことで、men for others はこういうところから始まりますが、なかなかできない生徒もいます。みんなには、ただ周りの人に迷惑をかけないというだけでなく、そういう当たり前のことを当たり前のようにするという意識を持ってもらいたい。今学期ははどうだったか、この点もよく振り返ってみてください。

 さて、今年の8月6日は広島に原爆が投下されてちょうど70年目に当たります。この節目の夏を迎え、私たちは、あらためて70年前に広島や長崎で起こったできごとについて、そして平和ということについて、考えなければならないと思います。

 70年前、どういう背景で、どんな理由があって、原爆は投下されたのか、私も色々な人の意見を読んだり聞いたりしましたが、その人の立場によって様々なことが言われています。何が正しいのかよくわからないこともありますが、どんな理由を付けても、原爆投下は正当化されるものではありません。だけど、被爆された方々の多くは、そういうことはまた別にして、核兵器の恐ろしさを伝えてきました。一瞬にして多くの生命を奪うだけでなく、生き残った者をも一生苦しめ、また遺伝的に子孫にまで影響を及ぼすという事実を、世界に訴えてきました。自分たちのような苦しみを、もう誰も味わうことのないようにしなければならない、そういう思いでご自身の被爆の体験を語ってこられた方が、たくさんいらっしゃいます。この方々のお陰もあって、広島、長崎の後70年間、核兵器は使われてこなかった。そういう意味でも、広島、長崎のこの70年の歴史は、本当に尊いと思います。この被爆者の訴えてこられた思いを、特に私たち広島で学ぶ者は、しっかりと受け継いでいかなければなりません。

 そして、平和についても、よく考えないといけない。この70年間、日本は戦争に巻き込まれることはありませんでした。そういう意味では平和であったと言えるかもしれませんが、戦争でなければ本当に平和かというと、そうとも言えない。やはり、平和であるということの大前提は、あらゆる場面で命が大切にされること、命が尊ばれることだと私は思います。もちろん、自分の命だけでなく人の命も大切にする。「私もあなたも、生まれてきたことに大きな意味がある。」とお互いに言える、そういう人と人との繋がりが、本当の平和を築くのでしょう。

 今、日本でも、自分の国の平和を守るために、そして国際社会の平和に貢献するために、どうしても武力や軍事力が必要だという議論があります。戦争はしたくはないが、国際情勢を見れば、軍事力に頼らずに平和を守るというのは理想論に過ぎないと言われても、なかなか反論し辛い悲しい現実があります。
 だけど、軍事力の行使と命を尊ぶ平和とを結びつけることに、多くの人は違和感を持っているのではないか。私も違和感があります。その違和感を大切にし、その気になって叡智を結集すれば、きっと本当の平和を実現するための知恵が出てくるはずだと、私は思っています。そういったことも含めて、この夏休み、平和について、戦争や核の問題について、みんなそれぞれによく考えてください。そして、平和を祈ってください。

 それでは、この夏休み、事故の無いように、健康に気を付けて、色々な体験をしたと後になって言えるような充実した休みにしてください。
 9月1日の2学期の始業ミサや始業式は、おそらく新しい聖堂や講堂でできると思います。その新しいスタートを、楽しみにしたいと思います。