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講話

2学期始業式

おはようございます。
 新学期早々大雨警報で、1日遅れの始業式になってしまいました。思えば、1学期の最後も同じように警報の影響で慌ただしい一日でしたが、その終業式で「2学期の始業式は、新しい講堂でできるだろう」と話しました。そしてその通り、立派な講堂が完成しました。

 今までと違って、空調は効き、照明は明るく、座席もゆったりとしていて、随分快適な空間で講堂行事を行うことができるようになりました。2階席は、かなり高いところから見下ろすことになり、舞台が少し見難いかもしれませんが、それは我慢をしてください。この2階席の両側のブロックは、それぞれ小講堂として使えるようになっています。また、1階の客席から外に出たところには、学院の歴史を展示するメモリアルホールもあります。今はまだ展示物はあまりありませんが、少しずつ充実させていきたいと思っています。

 さて、この講堂は「ペドロ・アルペ記念講堂」という名称です。先ほどの牛尾先生の祈りにもあったように、ペドロ・アルペというのは、世界中のイエズス会学校、そしてその中でも特に広島学院と大変関係の深いイエズス会司祭の名前です。今週の土曜日にこの講堂の竣工記念式典があり、そのときにアルペ神父の話をするつもりですが、当日十分に時間がないので、アルペ神父の生涯について、今日簡単に話しておきます。

 アルペ神父は今から110年近く前、1907年、スペインで生まれました。19歳のときにイエズス会に入会し、28歳で司祭になり、30歳の時に日本に派遣されました。最初の半年間、広島の長束修道院で日本語の勉強をした後、東京で貧しい人々のために働きながら、日本語や日本の文化の勉強を続け、2年後、山口教会に派遣されて宣教活動を始めました。
 そして戦争中の1942年に長束の修道院に移り、修練長として若いイエズス会士の指導や地域の宣教活動に励みましたが、3年後、37歳の時に原爆を体験します。

 当時の記録によると、修道院は爆風で屋根瓦や窓ガラスが吹き飛びましたが、建物が崩れることはなく、修練院に住んでいた30数名のイエズス会士も怪我はなかったそうです。だけど、窓から広島の市街地を見渡すと町全体が炎の海となっていて、この状況の中で自分たちができることは何か、まずは跪いて神に導きを祈った後、怪我人や病人を修道院に受け入れる決断をしました。
 実際に150人もの人が収容され、アルペ神父自身大学では医学を学んでいたということもあって、献身的に、そして的確に、治療や看護に当たりました。他のイエズス会士たちも街に出て、負傷者を助け、また、瓦礫を掘り起こして遺体を集めるといった作業もするなど、まさに ”men for others” を実行しました。そのイエズス会士の中に、本校の初代校長のシュワイツェル神父もいました。

 アルペ神父は、12年間長束で働いたのち東京に移り、今度は11年間、日本のイエズス会の責任者として、管区長の職を務めました。
 そして、57歳の時に、イエズス会の総長に選ばれて日本を離れ、その後18年間、世界中のイエズス会のリーダーとして、カトリック教会の改革と刷新のために力を尽くしました。
 
 特に、イエズス会学校との関わりで言うと、今から40年ほど前のことですが、スペインで開かれたイエズス会学校の卒業生の大会での講演の中で、「私たちの何よりも大切な教育目標は、他者のために生きる人 ”men for others” の育成でなければならない」という話をされました。この講演は、その後のイエズス会学校に大きな影響を与えました。そして後に ”with others“ をつけて、”Be men for others, with others” が、世界中のイエズス会学校の教育理念として掲げられるようになりました。
 また、総長として何度も世界各地を巡って、多くの難民の救済にも尽くし、イエズス会難民サービスJRSを設立しました。JRSは今も難民支援のための様々な国際的活動を行っています。毎年12月に中3がやっている街頭募金の一部は、犬養道子基金を通じてJRSに送られています。
 アルペ神父の晩年は、脳血栓で倒れて体が不自由になり、総長を辞任してからは長く重い闘病生活を続け、1991年、83歳で亡くなりました。
 このアルペ神父と広島学院との関係については、今度の竣工記念式典で話をします。

 そして新講堂とともに立派な新聖堂「アシジの聖フランシスコ聖堂」も完成しました。この聖フランシスコについても、また別の機会に話をしたいと思います。

 最後になりますが、この夏休み、みんなはそれぞれに何かの経験を積んだことと思います。この後、3人の生徒に報告をしてもらい、また今度の朝礼で、全国レベルで活躍をした生徒の表彰をする予定ですが、目立つ活躍であったかどうか、あるいはいい経験だったかどうかは別にして、それぞれの経験によって、みんなは確かに成長しているはずです。
 そういう今までとは少し違った、多少は成長した自分自身に期待感を持って2学期を始めてもらいたい。2学期は大きな学校行事もありますが、行事だけでなく毎日の生活が充実したものになるよう、1つ1つのことに積極的に取り組んで、期待通りの2学期にしてもらいたいと思います。