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講話

10月19日 朝礼

おはようございます。
 中間試験が終わり、文化祭まで2週間となりました。廊下にはもうしばらく「勤勉」という言葉を掲げておくので、今度は文化祭の準備に一生懸命に勤勉に励んでください。

 さて、今月は毎朝、聖堂で祈りの集いがあります。集いの中身は今までとそんなに変わりませんが、新しい聖堂になって、これまでとはまた少し違ったいい雰囲気の集いになっています。特に、今日のように天気のいい日の聖堂には、日の光がきれいに差し込んできて、本当に美しい。祈りの集いに、ぜひ、多くの生徒に参加してもらいたいと思います。

 ちょうど祈りの月ということでもあるので、今日は、この聖堂の名前になっているアシジの聖フランシスコという聖人について話します。

 フランシスコの伝記については、あまりよく分かっていないこともあるようですが、1181年か82年に、今のイタリアの中央部にあるアシジという町の裕福な商人の家に生まれました。若いころは放蕩息子だったようですが、20歳を過ぎてから、騎士になって武勲を立てることを夢見て戦場に向かいます。だけど、一度目は捕虜になり、二度目は途中で病気に倒れて、結局故郷に帰りました。そこでまた以前のように仲間と楽しく暮らしつつも、そういった快楽を求める生活では満たされないと感じ始め、人生観や世界観が少しずつ変わっていきます。
 そして20代半ばになって、神に心を向けて生きていく決意をします。回心をしたということです。それからは、44歳で亡くなるまで、世俗を離れ、富みや名誉を捨て、徹底的にイエス・キリストに従うことだけを望んで、清貧と謙遜のうちに生きました。
 清貧とは「利益を得ようというような欲をもたず、清らかな心で、貧しく質素に暮らす」というような意味です。

 フランシスコは「平和の聖人」とも言われており、新しい聖堂にこの聖人の名前を付けた理由の1つは、そこにあります。人間にとって本当に必要なものは愛と平和であり、いさかいや対立は、より多くを所有したいという欲望が原因になっていると教えています。フランシスコにとっては、「清貧」の思想と「平和」は固く結びついていました。
 この頃、キリスト教の世界は十字軍を派遣し、異教徒に打撃を与え、自分たちの宗教や生活を守ることが、正義であり平和であると考えていたような時代でしたが、フランシスコは、実際に戦闘地域に行って、十字軍に対して戦争の中止を呼び掛けたり、イスラム教の陣営にも出向いて愛と平和についての教えを説いたりもしたそうです。
 「神よ、私をあなたの平和の道具にしてください」という言葉で始まる「フランシスコの平和の祈り」と呼ばれている祈りがあります。本校でも、ミサやカト研活動などで、よく唱えられています。新しい聖堂の後方には、この祈りが日本語と英語で掲げられているので、ぜひゆっくりと読んで味わってもらいたい。フランシスコの精神が表わされている祈りとして、世界中で知られています。マザー・テレサも、毎朝この祈りを唱えていたそうです。

 また、フランシスコには、「小鳥に説教をした」「オオカミを回心させた」といったような逸話がたくさん残されています。フランシスコにとっては、宇宙万物はことごとく神の造ったもので、人間も含めてそれら全てが兄弟姉妹でした。そのようなフランシスコを、35年前、教皇ヨハネ・パウロ2世は「自然環境保護(エコロジー)の聖人」と定めました。ちょうど、エコロジーが政治的な動きになってきた時代でした。
 日本でもその数年前に、内閣府が出した「国民生活白書」の中に、「物質万能主義への反省、公害・自然破壊への反省、資源の無駄使いへの反省によって、地球規模の問題として、豊かさの新しいあり方が求められている」というような記載があるそうです。40年前に日本でも、物質的な豊かさばかりを追求する経済成長に代わって、精神的な豊かさや質の向上を目指す社会にしていかなければならないと指摘されていたわけです。
 その当時と変わらない課題を今もずっと抱え続けていますが、ここでも「より多く所有したいという人間の欲望が原因になっている」というフランシスコの言葉が、そのまま響いてきます。
 「平和」についても「エコロジー」についても、850年ほど前に生きたアシジの聖フランシスコの精神から学ぶべきことはたくさんあります。

 「ペドロ・アルペ記念講堂」「アシジの聖フランシスコ聖堂」それぞれの名前には、この学校がずっと大切にている思いや願いが籠められています。それをよく理解し、建物とともにこの名前も大切にしてもらいたいと思います。