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講話

6月6日 朝礼

おはようございます。
 登山部が高校総体で優勝して、インターハイ出場を決めました。学校としても大変嬉しいことです。全国大会でも、ぜひ頑張ってきてもらいたいと思います。

 今朝は、「学ぶ」ということについて話します。
 半年ほど前に読んだある記事によると、2021年度の東大合格を目指して2011年から開発を進めている人工知能があって、それが昨年6月の進研マーク模試を受けたところ、偏差値が57.8だったそうです。東大はまだまだ難しそうですが、それでも国公立33大学でA判定をもらったそうです。これはすごいことなのか、まだその程度なのか言うべきことなのか、よく分かりませんが、この人工知能は実際には何も考えていないし、試験問題の意味すら全く理解していないのだそうです。ただ必要な教科書や辞書、20年分の過去問などを1本のUSBメモリーに入れ、そのデータをもとに統計的に判断してマークするべき解答を選んでいるだけで、その割にはいい点が取れていると言えるのかもしれません。
 そして同時に、一般の受験生の間違った解答を分析すると、この人工知能と同じように、本当の意味や考え方を理解せず、ただ丸暗記したキーワードだけを頼りに何とかしようとしている生徒が、多かったのだそうです。彼らは、日頃の勉強で、「分かった」「できた」と言えるようになるまでの努力や根気が続かず、「分かった」「できた」を省略して、適当に済ましているのでしょう。勉強のことをその字の通り「強いられて勉める」ことだと言った人がいましたが、まさにそんな勉強になっているのかもしれません。

 一方、話は変わりますが、先週の木曜日に東ティモールの聖イグナチオ学院の浦神父が来られて、国の歴史について、また学校や街の様子などについて、話してくださいました。高2と高3は時間の都合がつかず聞くことができませんでしたが、3年前の創立記念式でも講演をしていただいたので、みんなも東ティモールや聖イグナチオ学院の様子は知っていると思います。話にもあったように、大変貧しい国で、教科書も1人1冊ずつ自分の物を持つことができない。生徒は学校が貸し出した教科書を持って、授業を受けています。学校ができて4年目ですが、同じ教科書をすでに何人もの生徒が使っているそうです。
 だけど、こんな状況でも「彼らは乾いたスポンジがどんどん水を吸収するように、授業の全てを自分のものにしようと目を輝かせて頑張っている」と、現地を訪問した先生はおっしゃっていました。この生徒たちは「分った」「できた」という感動や喜びをたくさん味わい、それを通して自分自身が変わりつつあるということを、実感しているのだろうと思います。

 「学ぶ」というのは、よりよく生きるために、様々なことについて「分かった」とか「できた」といえるようになるまで努力することだと、以前、私は朝礼で話したことがあります。だけど本当は、それだけではまだ「学んだ」とはいえないのかもしれません。今も言ったように「分かった」「できた」ことによって、新たな世界が広がったとか、今までとは違う何かが自分の中に生まれたといった、何かが変わったという実感を得ることが、「学ぶ」ということだろうと思います。それがまた次の学びを始める動機にもなり、こうして私たちは成長していくのでしょう。
 おそらく、聖イグナチオ学院の生徒たちは、自分のためだけでなく家族のため、そして社会や国のために、自分自身がもっと変わっていきたいという目標を、それぞれにしっかりと持っているのでしょう。一方、目の前の試験を何とかクリアしたいということぐらいしか学ぶ目標が見えていない人は、ただキーワードの丸暗記で急場をしのごうとするかもしれません。

 みんなの中にも、学ぶ目的や目標がはっきりと見えないという生徒がいるかもしれませんが、将来の可能性を大きく広げ、その中で自己実現をしていくためにも、今、たくさんのことを学び、自分の中で何かが変わっていくという体験を積んでいく必要があります。
 何事も「分かった」「できた」と言えるようになるまでには時間がかかるかもしれないが、努力を続けていると、その瞬間は突然やってくるものです。そのとき、どんな世界が広がるか、何が自分の中に生まれてくるか、そういった期待をモチベーションにして、時間がかかっても「分かった」「できた」というのをあきらめないでほしいと思います。