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講話

3学期始業式

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 この年末年始は比較的暖かく、穏やかな天候に恵まれました。例年より少し長めの冬休みでしたが、みんなそれぞれにいい時間を過ごしてくれたことと思います。

 さて、昨年、私がみんなにした最初の話は、ちょうど1年前の人工知能(AI)についてでした。そして、最後の話は2学期の終業式のpost-truthについてでした。
 AIについて、この1年、色々なところで話題になっていましたが、つい先日の新聞には、人間の脳とAIを融合させる研究が進んでいるという記事がありました。人間もだんだんと機械化されていくのでしょうか。私には、想像がつきません。
 こういった科学技術の開発は、科学者の個人的な欲求を満たすためではなく、社会を豊かにするためになされなければなりません。そのためには、1年前にも話したように、その社会で生きる人にも、新しい知識や技術、そしてリスクに対する想像力や倫理観などが必要です。科学技術が高度に進歩すればするほど、私たちは、より多くのことを幅広く学び、身につけていかなければならないのだろうと思います。

 一方、post-truthについても、今の社会の状況を表す言葉として、この年末年始、新聞やテレビなどで取り上げられていました。それによると、事実であっても見たくない事柄には目を塞ぎ、事実かどうか関係なく気に入った情報だけを受け入れる人がたくさんいる。だから、少し考えれば嘘と分かりそうな「まさか」というものが、ネット上でいつの間にか「やはり」となって広まっていく。そうやって多くの人にシェアされた情報が世論を形成する、そんな社会に今後なっていくかもしれないということです。
 今の社会に対する不公平感や、自分の暮らしが脅かされる恐怖感などを持った人が大勢いるということが、その背景にあるのだろうと思います。

 こういう現実を見ると、人工知能や遺伝子操作といった高度な科学技術の進歩に対して、社会そのものが追いついていかないのではないか、あるいは、科学技術の進歩によってかえって社会は、有るべき姿を失っていくのではないか、年の初めからそんな不安を感じてしまいます。

 話は少し変わりますが、このような先が見通せない時代を担っていく若者を育てるために、日本では、数年前から教育改革が進められており、今は、高校教育や大学教育、そしてそれを結ぶ入試改革が検討されています。詳しいことについては、また別の機会に話があるでしょうが、この文科省の改革会議は、今後身につけるべき学力を3つの要素にまとめて示しています。
 
 1 十分な知識・技能
 2 それらを基盤に、答えが1つに定まらない問題に、自ら解を見出していく思考力・判断力・表
   現力
 3 主体性をもって、多様な人々と協働して学ぶ態度

 この3つは「学力」というよりも身につけるべき資質・能力と言っていいでしょう。確かにどれも必要なことですが、やはりその前提にあるのは、十分な知識・技能を持つということです。授業をよく聞いてそれを自分のものにするという姿勢は、教育改革が進んでも、大切なことに変わりはないということです。

 ところで、400年ほど前、哲学者のフランシス・ベーコンは、「読むことは人を豊かにし、書くことは人を確かにし、話し合うことは人を機敏にする」として、この「読む、書く、話し合う」が人を知的により大きく成長させると主張したそうです。
 私は、これらは今の時代の学力の3要素にもそのまま当てはまると思います。「読む」は「聞く」にも通じ、十分な知識・技能を身につけることになる。「書く」は自ら解を見出していく思考力・判断力・表現力を養うし、「話し合う」は多様な人々と協働して学ぶ態度を育てます。

 みんなも、この学校で、授業だけでなく仲間と共有するあらゆる機会において互いに切磋琢磨しながら、「読む」(聞く)、「書く」(課題としてたくさん与えられている)、「話し合う」(コミュニケーションをもつ)を心掛けてもらいたい。この「読む・書く・話し合う」の鍛錬が、今の時代にあらためて求められているのだと思います。
 こんな学校生活になるよう、今年もまたしっかりとやっていきましょう。