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講話

4月23日 朝礼

おはようございます。
 ナガ校の皆さんの学院滞在も、今日を入れてあと3日となりました。今日は、昼休みに前庭でバスケットのフレンドリーマッチがあると聞いていますが、みんなで盛り上げて、いい思い出を作ってもらいたいと思います。

 昨年の夏、両校の交流20周年を記念して「平和をもたらす人は幸いである。その人は神の子と呼ばれるであろう」というマタイの福音にある言葉を書いた掛け軸を、ナガ校へ贈りました。書道の中村先生が書いて下さったものですが、今回、20年を記念して、ナガ校のタテル先生が書かれた3枚の人物画をいただきました。タテル先生は日本が大好きで、以前、ナガ校生を引率して学院に来られたこともあるそうです。その3枚の絵は校長室の前に飾ってあるので、ぜひ見てください。描かれている人物は、イグナチオ・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、ペトロ・ファーブルの3人です。

 このうちイグナチオとザビエルについては、中2以上の生徒はよく知っているはずですが、ファーブルは、みんなには馴染みがないかもしれません。ザビエルがパリ大学で学んでいたときに、寄宿舎で同じ部屋だったのがファーブルで、後にこの部屋にイグナチオも入ってきた。そして3人は同じ志を持つようになり、さらに他の4人も仲間に加わって、イエズス会を創立した。私もファーブルについては、これぐらいのことしか知りませんでした。
 もう少し調べてみると、ファーブルはザビエルが誕生したのと同じ年にフランス南東部にある農村に生まれ、幼い頃から羊飼いの仕事を手伝いながらも、学問に鋭い才能を示し、また純粋な信仰心を持った少年だったそうです。司祭になることを目指して19歳でパリ大学に進み、そこで、さっきも言ったようにザビエルと同室になり、2人は親友の仲になりました。そして4年後、イグナチオも同じ部屋にやって来ます。イグナチオは、キリストに仕える騎士になると心に決めて勉強し、宗教体験を積み、さらに哲学や神学を学ぶためにパリ大学に来ました。当時はまだ世俗的な立身出世しか考えていなかったザビエルは、最初はそんなイグナチオとは反りが合わなかったが、信仰が厚く学問にも優れていたファーブルは、すぐにイグナチオと親しくなったようです。イグナチオにとって、ファーブルは最初の同志でした。
 イエズス会創立後、ファーブルは40歳の若さで亡くなるまでヨーロッパを駆け巡り、当時は宗教改革の嵐が吹き荒れていた時代でしたが、その中でカトリックの立場を守り、またカトリックとプロテスタントとの対話にも精力を傾けたそうです。優しい司祭であり、熱烈な改革者であり、際立って優れた指導者であったとありました。

 ファーブルの話はこれぐらいにして、廊下には「求めよ、さらば与えられん」という言葉を掲げてもらっています。2週間前の入学式で朗読されたマタイの福音の一節「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」の冒頭部分です。文語体の方が何となく格調が高く感じられるので、文語体訳を掲示してもらいました。
 「山上の説教」といわれる場面でイエスが人々に語った言葉ですが、もちろん「何でも下さいとお願いしたら、神様は与えてくれますよ」ということではありません。「より善く生きるために自分に必要なものを求めなさい。そうすれば、与えられる」ということだと私は思っています。
 そして、求めるといってもただ欲しいと願うだけでなく、「探しなさい」「門を叩きなさい」とあるように行動が必要です。原文に忠実に訳すと「求め続けなさい」「探し続けなさい」「門を叩き続けなさい」ということだそうだから、相当一生懸命に行動しないといけないようです。
 それはともかく、私は「求めよ、さらば与えられん」という言葉に接すると、自分が求めなければならないのは何なのかを自分は分かっているのか、また、本気で求めたいと思っているのか、それを問われているように感じます。みんなも、自分らしく、そしてより善く生きるために何を求めたいかを、よく考えてみないといけない。

 ペトロ・ファーブルは、優しく穏やかで謙虚な人柄ですが、困難に対しては、勇敢に、自信を持って立ち向かい、その説教や指導、色々な人と交わされた対話には、深い学識と人を引き付ける品性、そして敬虔な信仰が窺われたそうです。私たちが求めなければならないものが何かを、ファーブルは教えてくれているように思います。