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講話

3学期終業式

61期生の皆さん、中学卒業おめでとう。
 今日君たちは、広島学院中学校卒業と同時に9年間の義務教育課程の終了という大きな節目を迎えました。この9年間、君たち自身の努力もあったでしょうが、ご家族をはじめ多くの方に支えられてきたということも忘れないでください。そして4月からは、自分の意志と責任で高校生活を始めることになります。どんな高校生になりたいのか、どんな高校生活を送りたいのか、よく考えてもらいたい。勉強、クラブ、その他あらゆる面で、より高みを目指していこうというマジスの決意を新たにして、今日の卒業証書を受け取ってください。

 さて2018年度が終わります。振り返れば、勉強だけでなく、クラブ活動や、他にも例えば各種のコンクールや大会に積極的に挑戦するなど、色々なことに一生懸命に取り組んだ生徒がたくさんいました。そういう意味ではいい1年でしたが、1学期には中3の津田君と牛尾先生がお亡くなりになるという大変悲しい出来事もありました。お二人とも重い病気でありながら、最後まで精一杯生きられました。そして生徒としてまた先生として、広島学院のことを愛しておられました。誰でも必ず死を迎えるときがくるということ、そしてそれまで一生懸命に生きることがいかに尊いかということを、私たちに教えてくださったように思います。

 この2018年度の終わりとともに、平成という時代も終わりを迎えようとしています。この30年、明るい話題もたくさんありましたが、私自身思い出すのは、暗い話題や辛い出来事の方が多いと感じています。中でも多くの人の記憶に残っているのは、阪神淡路大震災と東日本大震災ではないかと思います。

 阪神淡路大震災が発生して24年が経ちました。神戸出身の私にとっては、当時、その惨状を遠くから見ているしかありませんでしたが、多くの被災者の悲惨な状況や、自分の生まれ育った見慣れた町の無残な姿に、本当に胸が痛みました。今は町に震災の影はほとんどありませんが、震災前のレトロでハイカラな雰囲気が、震災によって、町の景観として、また住む人の心の中でも薄れてしまったと聞きます。寂しさを感じます。

 そして東日本大震災が発生してから8年が経ちました。関心を持って報道を見聞きしている人はよく知っていることと思いますが、少し現状について話すと、今なお約5万4千人もの方が避難生活を余儀なくされています。復興庁によると、災害公営住宅の建設など住宅再建はほぼ終了し、実際にこの1年で避難者の数は2万人以上減少したそうですが、災害公営住宅に入居されている特に多くの高齢者は、かつての地域の繋がりがなくなり、孤独な状態で不安な生活を続けておられます。
 福島第一原発周辺の地域でも少しずつ避難指示が解除され、徐々に住民が戻る動きは出ているものの「もう故郷には戻らない、戻れない」という人が半数近くはおられるそうです。町の復興はかなり進んでいても、人々の繋がりが戻らず、なお心の痛みの癒されない方はたくさんおられます。
 一方、福島第一原発の廃炉作業も、30年以上かかる長い行程の中で僅かずつであっても着実に進んでいるようです。敷地内の作業環境の改善が進み、96%のエリアで簡素な作業服での作業が可能になりました。またこの8年で、精度が向上した調査ロボットや映像解析の鮮明化など、科学技術の進歩にも目を見張るものがあるそうです。それらを駆使して燃料デブリの調査も始まりましたが、最大の難関であるデブリの取り出しについては、まだその方法も決めることができません。また、汚染水を貯蔵する高さ10mのタンクが現在構内に950基ほどあり、10日に1基の割合で増えるそうですが、貯められた汚染水の最終処分の方法、まだ決まっていないというのが現状です。

 本校からは、昨年の夏も高1の生徒10数名が福島にボランティア活動に行ったし、高2のILゼミで福島第一原発の見学に行った生徒もいました。この生徒たちは、現地の人から直接色々な話を聞き、現場を自分の目で見て、たくさんのことを学んだと思います。実際に見たり聞いたりするというのは大事なことですが、それができなくても、無関心であってはいけない。阪神淡路大震災はみんなの生まれる前の出来事だけど、東日本大震災は生きている中での出来事として、平成の時代が終わっても記憶に残しておかなければなりません。特に原発について、一度事故が発生するとどれほど大変なことが起こり人々を苦しめることになるのかをしっかりと知っておくことは、私たちの務めです。

 2018年度が終わります。それぞれにこの一年を振り返り、次をどんな一年にしたいのか、春休みにしっかりと考えておいてください。
 4月8日、59期生から64期生まで元気にここに集まって、希望や期待を感じながら新年度を迎えることができればと願っています。