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講話

5月13日 朝礼

おはようございます。
 先週の金曜日、私は出張でいませんでしたが、全校朝礼を開いてコンゴから来られたイエズス会の神父様に話をしていただきました。今朝は、もう一人の神父様をみんなに紹介してお話をしていただく予定にしていましたが、まだこちらにお見えになっていないようなので、また別の機会に紹介することにして、私が話をします。

 先日の土曜休日に学校に来られたあるお父さんからお聞きした話ですが、その方が南門から校舎へ上がっていく途中、多分、部活帰りの生徒たちだと思いますが、すれ違った生徒がみんな「こんにちは」と爽やかに挨拶をしてくれたそうで、ご本人も大変爽やかな気持ちになったとおっしゃっていました。

 私はこの2、3年、以前よりもきちんと挨拶をする生徒が増えてきているように感じています。クラブでそのように指導されているのかもしれませんが、いいことです。ただ、やはり挨拶のできない生徒もいます。「おはよう」といっても何の返事もない生徒と運悪く出会うと、朝から暗い気分になります。
 大人でも挨拶のできない人、挨拶をあまりしない人もいます。彼らは「たかが挨拶ぐらいできなくてもいいじゃないか」とか「挨拶はやれと言われてやるようなものじゃない。必要なときは、言われなくてもできる」などと言うかもしれません。みんなの中にも「今日は朝から気分がむしゃくしゃしていて、挨拶なんてする気にならない」なんていうときもあるのではないか。
 でも、挨拶をするというのは一つの礼儀です。礼儀とは「人に対する気配りや敬意、慎みの気持ちに基づく行動規範のこと」とあります。挨拶ができないというのは、礼儀を知らないということで、「あなたは気配りや敬意や慎みの気持ちがなく、常識に欠けている」と言われるのと同じことになります。だから、挨拶は「必要に応じてします」とか「そんな気分ではないからしません」というものではありません。
 どんなときでも挨拶はしなさい。先生だけでなく、学校に来られたお客さんにも、登下校の途中で安全指導をしている方々にも。「広島学院の生徒は礼儀正しい」と思っていただくためではなく、近くにいる人に対して、お世話をしてくださっている人に対して、「関係を蔑にはしません」という気持ちを伝えるために、きちんと挨拶をしなさい。挨拶をするというのは、相手とのコミュニケーションを大切にするという、最も基本的な「men for others, with others」だと思います。

 話は変わって、5月はカトリック教会では「聖母月」に定められています。ヨーロッパのカトリックの国々では、日本と同じように、この5月は青葉若葉が眩しく、花は咲き誇り、風薫る季節だそうです。この美しい時期に、イエスの母マリアを称える習慣が生まれ、それが世界に広がりました。学院でも聖母月に合わせて、毎朝、祈りの集いを行っています。朝のひと時を生徒や先生の話を聞きながら、心静かに過ごすということを、みんなに経験してもらいたい。ぜひ、積極的に参加してください。
 そして中間試験まであと1週間です。10連休があったために試験範囲が例年より少ないかもしれませんが、それでもしっかりと準備をして臨んでください。