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講話

3学期始業式

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今年は子年ですが、十干十二支でいうと庚子(かのえね)の年です。庚は変化の予兆というような意味があり、子は十二支の最初で命の始まりです。したがって、庚子は「変化を求めて新しいことにチャレンジするのに良い年」というような意味合いがあるのだそうです。みんなそれぞれに今までとは何か変わった、成長したといえる良い一年になればと思います。
 そんな良い一年にするための一つのポイントは、時間の使い方をよく考えるということです。誰にでも同じように時間は流れていますが、それをどのように使うかによって、それが質の高い時間にもなるし、ただ流れているだけの時間にもなります。別に勉強をしているのが質の高い時間で、ゲームをしているのが質の低い時間というわけではありません。今この時間に何をしたいのか、何をしなければならないのかを意識して取り組んでいる時間は、質の高い時間です。何をするにしてもはっきりとした目的や意識がなく、ただ何となくだらだらと時間が過ぎていく、こういうのを「漫然と時を過ごす」と言うのでしょうが、これは質の低い時間です。
 みんなの中には、勉強をするにしても、あまり質の高い時間にはなっていない人が結構いるのではないか。勉強だけに限ったことではありませんが、自分の時間の使い方をよく振り返り、質の高い時間を増やしていく、これが良い一年にするために大切なことです。

 さて、正月の新聞に、生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一さんが「多様性」について対談をしている記事がありました。この多様性について少し話をしたいと思います。
 多様性は近年よく聞かれる言葉です。元々は40年近く前、生物の種の多様性が必要だという形で提唱され広まった言葉だそうですが、今では「色々な立場の人がいる」ということを表し、「多様性を認める」とか「多様性を受け入れる」といった言葉で使われます。色々な立場の人とは、例えば国籍や民族、宗教、文化の異なる人、貧困に苦しむ人や紛争に巻き込まれている人など社会的立場の弱い人、LGBTなどの性的少数者、また性別や年代の違う人も該当する場合があります。グローバル化が進み、国の垣根を超えて考えていかなければならない課題が山積する今の時代に、多様な人たちと共に活動し、相手にあって自分にないものを積極的に受け入れるという姿勢は、ますます必要とされます。

 福岡さんは、多様性を言葉として理解するだけでなく、本当に認め、受け入れるためには、他者の感情や経験を理解する能力が必要であると仰っています。何も知らないままでは、他者の立場を考えられないだけでなく、偏見に陥ってしまうかもしれません。多くを学ぶことで、視界は広くなり、お互いの自由を尊重し合う力も持てるようになるとも仰っています。
 もちろん、ただ学んで知識を得るだけではいけない。相手の心情を想像できる人、共感できる人でないといけません。そのためには、感動する体験をたくさん積んで、自分の心を動かす訓練をしておかなければならないと私は思っています。読書や芸術鑑賞、映画鑑賞、スポーツ観戦、その他毎日の勉強も含め、感動する体験を自ら積極的に求めることで、心の柔軟性が保たれ、人の心情を察する力もついてくるのだろうと思います。
 さらに、多様性を学ぶといえば、もっと身近なところ、学校の中でも体験的に学ばなければならない機会はたくさんあります。自分のすぐ隣の人も、自分とは違う個性を持った人です。自分とは全く違う考えを持っているかもしれません。多様性を認め、受け入れるとは、その違う考え方と同調しなければならないということではありません。ただ、違う考え方の人もそこにいていいと認めなければならない。もちろん立場を逆にすれば、自分も相手と考え方は違うかもしれないが、ここにいてもいいのです。このように互いの違いを尊重して「ここにいてもいい」というのが、多様性を認め、受け入れる第一歩だと思います。それがうまくできないことが、いじめの問題に繋がってきます。

 私はこの正月に、34期卒業生の同窓会と48期卒業生の同窓会に招かれて行ってきました。どちらの学年も、在学中は色々な生徒がいて色々なことがありましたが、彼らはそれらを糧にして、今はそれぞれに社会で立派に活躍しています。学校の中で多様性を体験的に学ぶというのは、一人ひとりの生徒の将来のためにも、大変重要なことだと感じました。
 学校は、そのような場でなければなりません。今年もまた、みんなでいい学校を作っていきましょう。