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講話

5月25日 朝礼

おはようございます。9時になったので、全校朝礼を始めます。

 既に知らせているように、今週は学年ごとの登校日を設けます。高3は今日と木曜、他の学年は、水曜日以降に1回ずつ、出席番号が奇数の生徒は10時、偶数の生徒は13時30分に登校してもらいます。HRがあり、その後5教科の担当の先生から15分ずつ話があって、全体は90分程度で終わります。毎日のオンラインでの課題配信も今まで通りあるので、そちらもきちんと取り組んでください。
 そして6月1日から、時間割通りの6時間の一斉授業を再開する予定にしています。当分の間は9時30分にHRをし、45分の授業を行います。6時間目が終わるのは15時30分で、平常時よりは20分遅くなります。その点は承知しておいてください。授業が終わったら当番は掃除をし、クラブ活動等はなく、すぐに下校です。まだまだいつも通りの学校生活とはいきませんが、できる範囲でできるだけのことをやっていきたいと思います。

 新学期に入って入学式や始業式、2日間の短縮授業等はあったものの、その後は休校が続き、3月に始まった休校は、春休みも入れると3カ月近くになります。過去このように長期間全国一斉に休校になったのは、150年の歴史を持つ日本の学校制度において、第二次世界大戦末期の十代の生徒が勤労動員などに赴くことになったときだけだそうです。もちろん私も、生徒として教員として、こんな休校は経験したことがありません。ほとんど誰も経験したことのない歴史に残るようなことを、今私たちは体験しています。
 このところ感染の広がりは落ち着き、緊急事態宣言は今日にも全面的に解除される見通しですが、自粛が緩和されると、またすぐに感染が広がるかもしれません。いずれ第2波、第3波が来るのは間違いないようですが、それがいつになるのか、今よりも大きな波なのかどうか、わかりません。6月1日から当分の間45分の授業をすると言ったその当分の間とはどれくらいになるのか、その後は平常通りに戻るのか、或いはまた休校になったり分散登校になったりするのか、色々な場合を想定し、最悪の状況も覚悟しておく必要があります。

 話は変わって、3月初めの本校のHPに載っていたし、先日の天声人語にもありましたが、360年ほど前、アイザック・ニュートンは、ペストが流行したため通っていたケンブリッジ大学が2年以上休校になりました。それでその間、故郷の実家に戻り、庭の木のリンゴが落ちるのを見て、なぜリンゴは落ちるのに月は落ちてこないのかを考え、万有引力の法則を発見したそうです。他に微分積分学や光学の研究でも、この時期に優れた成果を上げました。ニュートンは、この休校期間を「創造的休暇」(creative vacation)と呼んだそうです。
 その100年ほど前、イエズス会の創始者であるイグナチオ・デ・ロヨラは、やはりペストが流行したため、バルセロナの港からエルサレムへ聖地巡礼に出発するつもりだったのが、バルセロナに入れず、近くのマンレサという所に13か月も留まらざるを得なくなりました。その間イグナチオは、一人になって洞窟の中に籠り、徹底的に自分の心の内に聞こえる声に耳を傾け、心の動きと向き合いました。この体験がイグナチオの信仰をさらに深め、イエズス会を設立してミッションを果たすという後の生き方に繋がったそうです。

 このように、日常の当たり前がなくなった非日常の中では、人の感覚は研ぎ澄まされるのではないかと、ある記事にありました。私たちの感覚も、多少研ぎ澄まされているのかどうかは分かりませんが、少なくとも、日頃体験できない非日常の世界を体験するということは、私たちにとっても大きなことだと思います。
 当たり前にあった学校生活が3カ月も中断し、あるはずの学校行事やクラブの大会がなくなりました。春や夏の甲子園が中止になり、フラワーフェスティバル等、各地の祭りやイベントも中止になりました。なくなるなどと考えたこともない、あって当たり前のものがなくなる、そんなことが実際に起こり得るのだということを、今、私たちは、体験しています。
 そういった非日常を体験して初めて気づくことがあるのではないか。例えば日常の有難さもそうでしょうし、他にも色々とあるでしょう。それに気づく感覚は、研ぎ澄ませておきたい。
 いつかまた、日常に戻ります。それが今までと同じような日常なのか、多少違う形の日常になるのか、それは分かりませんが、非日常での気づきは、その後の日常をもっと豊かなものにしてくれるでしょう。今の非日常の体験も、大切にしなければと思います。

 今朝の話は以上です。この後は今日の課題に取り組んでください。